仏教徒の暮らしについて

真の仏教徒の生活と同じことをしようとするよりも、真の仏教徒の考え方や彼らがどのような生活を送っているかを知ることで、自分たちが誤った方向に向かって生きている部分があるとしたら、その誤りを素直に認め、正しい方向に向かえるように方向転換するきっかけになると思います。

いただきます、ごちそうさま

日本人の方は誰もが特別に意識しているわけではないのですが、食事の始まる前、食後に「いただきます」「ごちそうさま」と言う習慣があります。これは朝や夜の挨拶「おはようございます」「おやすみなさい」と同じような感覚でごく自然に発している言葉です。

こういう食事の前後のあいさつはどこの国でも似たような習慣があるものと思えるのですが、以外にもそうではないのです。キリスト教の国などでは食事の前後にお祈りをする習慣がありますが、仏教徒を始め、ヒンドゥー教やムスリムたちにも特に習慣化して誰もが行っている食事の祈りはありません。

そう思ってよくよく意味を考えてみると、「いただきます」と「ごちそうさま」は本当に簡単な一言ではありますが、その食事を与えてくれた「神や家族に感謝を捧げる気持ち」が強く表現された大変美しい言葉だと思えるのです。

ある旅行者がよく利用するホテルのレストランで働いているスリランカ人のボーイは、そのホテルを利用する日本人が食事のときにいつも同じこの言葉を言うのを聞いていたそうです。そしてある日、ちょっとしたきっかけで話し始めた日本人旅行者にその意味を尋ねてみたそうです。

そこで初めて意味を納得した彼は深い感慨を受け、自分の家族にもそのことを話して、それから毎日日本語で「いただきます」「ごちそうさま」と食事の前後の挨拶を始めたそうです。

「いただきます」や「ごちそうさま」がいつの時代から、どういうきっかけで言い始められたのかということ、ましてやそれが仏教に関わり合いのあることかどうか、深いところは分かりませんが、こんな話を聞くと、外国の人に見習われるようなことが当たり前にできていること、日本の伝統文化をとても誇らしく感じます。

月のうさぎ

日本では月の中には「餅つきをしているウサギがいる」と信じられています。月はとても清らかなものと思われていて、秋の十五夜などでは月にお供え物を捧げて祈ります。ですが、広い世界の中には月の中には「ドクロ」が浮かんでいて、月明かりは縁起の悪いものとされている国もあるのです。

幼い頃におじいちゃん、おばあちゃん、あるいはお父さん、お母さんから聞いたであろうこの「月のウサギ」の話は、日本がまぎれもなく仏教国であることを物語る証で、実は「ジャータカ物語」という仏陀生前の物語の一話なのです。そこにはこんなエピソードがあるのです。

ある時、インド北東部を流れるガンジス河のほとりで仲良しのうさぎとサル、山イヌとカワウソが遊んでいました。そこにフラフラになった旅人が歩いてきました。その旅人はお腹を空かせていて、動物たちの目の前で倒れてしまったのです。

これは困ったことになったと思った動物たちは「この人のために何か食べ物を持ってきて助けてあげよう」と言って、それぞれが食べ物を取りに出かけました。カワウソはガンジス川からコイを持ってきました。山イヌは肉や牛乳を、サルは森へ行ってマンゴーの実をたくさん集めてきました。ところが、ウサギだけは何も持ってくることができなかったのです。

心の優しいウサギは困っているこの旅人に自分だけが何もしてあげることができないことをとても悲しく思いました。すると、何を思ったか、ウサギは「今から私が食べ物を差し上げますから、そこに火を焚いて下さい」と言いました。そして、突然「私を召し上がってください」と言うと、火の中に飛び込んだのです。

実はこの旅人は神様で、ウサギの行動に深く心を打たれた彼は、「清らかな心を持つ賢いウサギよ、おまえの良い行いがのちの世の人に末永く語り継がれるように記念をしておこう」と言って、月の表面にウサギを描いたそうです。

このお話を知ってみると日本に残る「十五夜」という習慣がいかに美しいものであるか、しみじみと考え直してしまうかと思います。実は十五夜は清らかな心を持つウサギを偲ぶ行事だったのです。毎年やってくるこの十五夜の日に、月明かりを見上げながら子供たちへ、そのまた子供たちへ語り継いで行って欲しいものです。

良い歯よ出?ろ

子供の頃、乳歯から永久歯へと生え変わる時期、抜けた乳歯をどうしましたか?「いい歯よ出?ろ」と願いを込めて、下の歯は屋根の上に、上の歯は縁の下に投げ入れませんでしたか?

実はこのこと、日本だけの習慣だと思っていたら、スリランカの子供が全く同じことをやっていたので本当に驚いてしまいました。

「いただきます」「ごちそうさま」と同じように、このことが仏教に関わり合いがあるかどうかは微妙なところなのですが、考えてみると両国の一番の共通点は「島国」であり「仏教国」であると言う点です。この小さな歯のエピソードも何らかの形で仏教がもたらした習慣ではないかと思えて仕方ないのです。

最近ではマンションのようなビル型の集合住宅が増え、「屋根の上」や「縁の下」がなくなりつつあり、やりたくてもできない状況に変わっているのがとても寂しく感じますが、このことも「月のウサギ」と同様に、次の世代に語り継いでいきたい、失くしてはならない大切な習慣だとしみじみと思います。

ちなみに、スリランカには七五三のお祝いはないのですが、ミルクばかりを飲んでいた赤ちゃんが初めて物を食べた時の「お食い初め」のお祝いとよく似た習慣があります。こういった習慣の起源をたどってみると、仏教に深くかかわり合いがあり、仏教国ならではの共通点があるのかもしれません。

仏教徒としての日本人に望むこと

ごく最近、NHKでアフリカのルワンダについての特集が報道されました。この国は昔から現住民族であるツチ族とフツ族の民族紛争が絶え間なく続いていたのですが、最近では1990年から91年頃にかけてもひどい内戦があったそうです。

長期に渡って独裁を続けていたフツ族出身のハビャリマナ大統領の飛行機事故死(暗殺だとも疑われている)をきっかけに、大統領の親衛隊や政府軍、民兵組織によるツチ族への報復が始まったのです。紛争が始まった最初の4週間だけで50万人ものツチ族、あるいはフツ族内の独裁反対者たちが虐殺されたと言われていて、生き残ったツチ族の人々は国外逃亡を余儀なくされました。

逃亡者の中には逃亡先の国で生活する中で様々なビジネスについて学び、紛争が一段落した現在、どんどん祖国に戻ってきてルワンダの復興と発展のために第一線となって動いているのですが、紛争中の国外生活のことを振り返りながら「常にツチ族の伝統をここで絶やしてはならない」ということを頭に入れ、外国で長い生活を送りながらもツチ族の文化を子供たちに教え込んでいたと熱く語るのです。

このようなことは、民族の存続危機に陥った体験のない現代の日本人には到底理解できないことかもしれませんが、「文化と伝統」というものは、これほどまでに大切なことであることを理解するとともに、「仏教」にまつわるさまざま習慣も、間違いなく日本が長い歴史の中で培ってきた伝統文化であり、今ここで絶対に絶やしてはならない大切なものであることを誰もが感じなければいけないのです。

仏教徒と名乗るなら

ここまでにいろいろな方面から仏教についてお話ししてきたのは、最近の日本の世の中を見ていて、大変な危機感を抱くからです。今、日本はまさしく「世代交代」を迎えていることを誰もが認識しなければなりません。戦後の世の中を支えてきたおじいちゃん、おばあちゃん世代の人はどんどんいなくなって、戦前や戦中、戦後すぐの世の中の状態を全く知らない人たちが社会の中心になりつつあるのです。

親の世代の方々と私たちを比べて、明らかに違っていることは、信仰心はさることながら「人間として大切な気持ち」です。この気持ちをどうやって取り戻していくか、それは自分自身が親たちに何を教えてもらったかを一つ一つ思い出していくしかないのです。

自分たちの親が教えてくれたことの中には、これまでにお話ししてきた敬虔な仏教国の人々の生活と似た部分がたくさんあると思います。それと全く同じことをやらなければいけないとは思わないのですが、自分にできていること、できそうなことだけでも失くさないように大切にする心を持って欲しいのです。

そうしなければ今の子供たちが大人になって外国へ出かけ、現地の人に「あなたの宗教は何ですか?」と質問された時に「知りません」と即答するようになってしまいます。子供たちが「私は仏教徒です」ときっぱりと名乗れるように、今社会の中心となっている私たちが行動を起こさなければいけないのではないでしょうか。

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